自分てなんなんだろう
自分てなんなんだろう、は
泥沼クエスチョンといいまして一度ハマってしまうと
抜け出せなくなってしまいがちな それはそれは恐ろしいクエスチョンなのです。
ええ、ゆってみれば 現代のアヘンとでもいいましょうか。
一種の麻薬のようなものです。 それか、無重力の宇宙で真っすぐ立とうとするかのような無謀な試みです。
ハマってはいけませぬ。絶対に。
・・・だのに、就活生という人種は それを半ば強制的に取り組まねばならぬ様でして。。みな、自己分析シートやら人生グラフなるもので、自分を探すわけございます。
はぁ、わたくしもそんな就活生の一人。
見えない 掴めない 感じられない
自分というやつを、ここ1か月 追い求め、探し求め、訪ねて参りました。
迷子かどうかも分からず、ただただ進んでいる様な、はたまた、後退しているような
はっきり白黒つけがたい日々。
Aさんには「人の気持ちが分からないんだね」と言われ
Bさんには「人の気持ちに繊細なんだね」と言われ。
ああ、これこそ泥沼。一体自分という輩はどこにいるのやら。
問い続けてきたわけでございます。
すると、あら不思議。
どこまでも 遠くにあると思っていた自分は
存外、傍にいるかのような気がして参りました。
ずっと、傍にいたのだけれども
意識の外に在ったがために、すごく とても遠い場所にあるかのような
錯覚を抱いていた・・・(?)
そんな、気がして
ならないのです。
近くにいたのに無視してきた自分が、いたのかもしれない。
幼稚園児が遊び終えたパズルの残骸みたく、バラバラにホッタラカシニされてた自分が
いたのかもしれない。
そんな自分のピースを、断面図から繋ぎ合わせてゆくこと。
泥沼から抜け出す 唯一、戦略的な道筋・・・かもしれませぬ。
繋ぎ合わせたピースを備忘録かねて、お披露目させて頂きまする。決して、なにがしかの批評を求めているものではなく、ただただ こんなピースが見えてきた、ただそれだけでございます。(臆病な自分が防御を張っているだけです、お気になさらず。)
自分という存在は
繊細で 極細の筆ペンの毛先並みのタッチで
ヒトの機微を感じたり
はたまた、打たれ続けた故に、 高密度の杭になっているメンタルの強さを持っていて、
家族への期待故の苦しさを抱え続けてきた。心の底に残る しこりのような蟠り(わだかまり)を 色んな方法で、拭おうと試みてきた人間・・・なのかもしれませぬ。
そろそろ泥沼からは抜け出したいものです。
年内には、抜けて 来年からは 羽ばたいてゆきたい。
そう、わたくしは思っておりまする。
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