路上ライブ、どうして、あんなに道端に人が止まる?
【路上ライブ】
道端で自前のスピーカー・マイクを駆使し、
声や楽器で、音楽を奏でる活動。
世界各国どこにもいる。
アメリカ、ヨーロッパ、・・・アジアはちょっと思い出せないけど、
たぶん、いる。
けれども、どうして?
あんなに彼らに魅かれるのだろう。
大阪駅、21時ごろ。
少し探せば、必ず10人前後の人だかりを見つけられる。
(僕も時間があれば、スッと立ち止まり、耳を傾けてしまう。)
そっと、胸に手を当て
ソッと聞いてみる。
「なんで、彼ら・・というより、僕たちは
路上ライブを聞くのだろうか?」
「無謀さの中に、希望を見失わないチャレンジャー」だからかな。
重ねているのかも、自分(たち)の一部を。
「あー、そっか。」
「頑張れ、頑張れ。負けるな。」
そう、心の中でエールを送ってしまう理由。
きっと、自分を重ねているからだ。
みんな、もっと輝きたいし、
人と共に輝ける可能性を(実は)どこか信ている。だから、無謀さにエールを送ってしまう。
無謀さの中に希望を見失わないチャレンジャーが、実は結構好きなんだわ、みんな
(・・・、見失わないからチャレンジャーなんじゃなくって
チャレンジャーだから見失わないんだろうな。)
姿勢、心から尊敬です。
名もなきチャレンジャーを見るたび、豆だらけの手で背中を
グンと押される気がします。ああ、今夜もアツい歌声。
響けや響け。世界に響け。
その無謀さが、誰かの希望になる日まで。